Japan Security Study Group

日本及び海外の専門誌の論考・論文等をテキストにゼミ形式で月に2回、勉強会を実施中しています。


  • The Diplomat

  • The Economist

  • Financial Times

  • Foreign Affairs

  • Foreign Policy

  • Infinity Journal

  • International Security

  • Journal of Cold War Studies

  • Review of International Studies

  • Survival

  • World Politics

  • 海幹校戦略研究

  • 国際問題

  • 国際政治

  • 防衛研究所紀要

  • ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版

  • レファレンス

  • Foresightなど

見学・参加希望の方は「contact」からその旨を記載してご連絡ください。

戦争/映画(1) -自由の番人?-

作品キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー
掲載2014月11月16日
評者日本海

 ハリウッド映画は、その時々の社会的な空気ともいうべきものを反映します。 それはアクション大作であっても変わりません。 むしろ、案外と大作とされるものに大胆な設定や論争的であったり作家的なテーマを盛り込んでくることもあり、 いまだに映画を更新する力を有しているのがハリウッドであると確信させるに値する作品が作られています。

不安の時代

 さて、本レビューで取り上げる作品は「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」ですが、2014年公開ということもあり、 9.11とその後の所謂対テロ戦争後の文脈をふまえており(財政的負担・疲弊による厭戦感・アメリカ的な価値の相対化等)、 これはかなり直接的にアメリカ社会の空気を反映させたものに仕上がっています。 ここで描かれるものは、それこそわかりやすい蛮性や悪徳の権化との戦いではなく、 人の心に根差した理性によるコントロールを可能な限り進めようという考えとの戦いです。

 「安心」や「安全」。俗情かもしれませんが、不安の時代にあって、これらを人は求めます。 そして不測の事態に対して先回りする形でおこなう予防的処置。これも驚くには値しません。 が、その結果として生み出されたのは、スパイ衛星を介してリンクされた遊弋する重武装のヘリキャリアーによって守られ、 アメリカを脅かさんとする存在を先制的に除去する世界です。これは戯画的ではありますが、荒唐無稽なイメージではないでしょう。 相対的な力の低下はあれど、アメリカに直接的に侵攻し占領するような国はなく、劇中において悪として描かれるヒドラが生まれたドイツのように、宿命的な正面に挟まれているわけでもない。 よって彼らが恐れるのは、その内部から生じる理解しがたい存在。外なる敵ではなく、内なる敵です。

自由の番人?

 こうした敵と戦い、キャプテン・アメリカは最終的に勝利します。これは娯楽作品である以上はあたりまえとはいえますが、 興味深い点を二点挙げることができます。 まず一つ目として、キャプテン・アメリカことS・ロジャースは、氷漬けから蘇った存在として、あくまで現代世界においてはゲストであり、 またかつて彼が身を捧げた軍や「自由」という価値観は変容していること(彼の栄光は、スミソニアン博物館において輝くのみであり、そこを訪ねる彼は正体を隠さねばなりません)。 そして二つ目としては、彼のいう「自由」とは、彼自身のみならずアメリカ社会が掲げる「自由」でありながら、 その社会において守るべき人々を具体的に描いていない事です。

 どうしてこのような描き方しかできないのか? 仲間はいれど、キャプテン・アメリカはその存在自体が孤立しています。また、彼が本来であれば鼓舞してもよいであろうアメリカ人は、たんなるモブにすぎません。 もしかしたら、もはや彼が知っているアメリカは既にないのかもしれない。 それでも自由の番人たりえるのか?

 堂々たるアクション大作ですから、「読む」よりも「観る」ことに浴するほうが映画の鑑賞の仕方としては賢明です。 しかし、一見すると能天気ともとられかねないハリウッド映画が、じつのところ、かなり踏み込んでいける主題をあつかっていることも事実なのです。

inserted by FC2 system