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暁の安全保障小話(2) -帝国の科学者-

掲載2014月11月10日
執筆ブロガー/暁

 科学者という職業は、元来はアマチュア・サイエンティストでした。 領地収入で暮らす貴族が、屋敷の一角に研究室を構えて、植物を顕微鏡で覗いたり。聖職者が夜中に望遠鏡で星を観測したり。そういった個人事業でやっていた研究や実験が積み重なって、さまざまな分野の科学が発達してきました。

 いまのように企業や政府が金をだして立派な「なんとか研究所」が出来たのは後代の話です。例えば政府が金を出して、事業として科学の発展を推し進めようとしたのは、帝国主義と関連しています。

 欧州において最も遅れて資本主義化を開始した大国、ドイツは、もっとも早く国家的な化学研究機関を設立しました。1887年にベルリンに完成した国立物理工学研究所です。

 この設立を支援したジーメンスは「現在活発に遂行されている諸民族の角遂闘争に際しては、新たな軌道へ最初に踏み込み、それにもとづく工業部門を真っ先に発展させた国が決定的な優位を占める」と考えました。帝国主義のための科学がスタートしたのです。

 このように国家事業として科学技術の発展を後押ししたドイツは、多くの著名な科学者を輩出します。中でも帝国主義に甚大な功績をあげた人といえば、ハーバーです。彼の関心は窒素の空中固定でした。

 窒素の空中固定は、農業にとって一大テーマでした。ある土地で農業を盛んに行えば、地中の窒素が減っていき、作物の育ちが悪くなります。そこで動物の排泄物か化学肥料を使って、地中の窒素を補ってやらねばなりません。化学肥料の材料として南米チリの硝石が輸入されていましたが、早晩不足することは目に見えていました。

 そこで、空気中に存在する窒素をとりだすことができれば、肥料をいくらでもつくることができるようになります。一九〇九年、ハーバーはこれに成功。農業の増産に結びつきます。

 その一方、この発見にはもう一つ使い道がありました。火薬です。火薬もまた硝石から作られます。第一次大戦が始まると、イギリス海軍の海上封鎖によってドイツは南米からの硝石輸入を断たれます。ドイツは硝石が手に入らなくなって、肥料も火薬も作れず、食料もなければ鉄砲も撃てない、ということになりかねませんでした。しかし偶然にもハーバーの発明が間に合ったので、輸入に頼らなくても戦争を継続することができました。

 ハーバーの研究がなければ、将軍や参謀がいかに頑張ろうと、ドイツは第一次世界大戦を戦うことはできなかったでしょう。いかに戦争がしたくても、火薬に事欠いたのでは近代戦を遂行できません。その意味で、ハーバーの国策への貢献は甚大なものがありました。

 もっとも、火薬の欠乏によって早々に敗北を喫した方が、ドイツにとってはあるいは幸福なことだったかもしれません。ハーバー自身にとっても、そうだったでしょう。

 火薬を盛大に使って、敵に塹壕にむけて大砲を延々と打ちまくる形で、第一次世界大戦は長々と続く出血戦になりました。やがて長期戦を打破するため、ハーバーの次なる貢献が求められます。毒ガスの製造です。

 ハーバーは「戦争をこれによって早く終結させることができれば、無数の人命を救うことができる」といい、若い科学者に指示して優れた毒ガスを製造させました。

 今日、ハーバーの名は、化学肥料の父というよりも、毒ガスの父としての印象をより強くもって、現在に伝えられています。

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